touch

建築中心

2016年の目標(具体的に)

2013「自分に負けない」

2014「堀口賞&大学院合格」

2015「進化」

毎年目標をたてるのだが今年も設定することにする。

今年は具体的に3本

 

「たてる&みせる&考える」を軸にして生活して行こうとおもう。

 

 

 

①たてる–概念から実体へ–

→「家」を一軒たてることで「つくること」を経験的に学ぶ。

→「つくること」から「都市をつくる」ということに対しての再帰的な経験を得る。

 

②みせる–概念の共有そして共働へ-

→HP(現在作成中)をつくり外部にプレゼンテーションを常にしておく

ポートフォリオ&概念モデルを友人のショップにおかせてもらう。

→Rhinocerosを学ぶ(現在のプロジェクトを3D化する)

 

③考える-自らを定位させる点をみつけるために

→2015年読書量が激減したので読み漁る。

 

具体的に行動に移すために方法として

2014年1年通した朝方にシフトチェンジしなるべくルーティン化をしようと思う。

 

2015年を振り返って(独り言)

 

あまり振り返ることは好きではないけれど、色々反省もあるとおもうので来年度の抱負も含め、色々しるしたい。

 

一年を振り返って卒業設計の後書いた論文書いたのを思い出す。

"

f:id:curryman55:20151228230617p:plain"

ここでいうアポリアとは

"

f:id:curryman55:20151228231203p:plain"

とうことであるが、デザイン自体が持つ命題–人に制約を与えざるをえないということ–を超えるかということだ。ざっくりいってしまえば「デザインの更新」である。

 

その端緒として考えられるのは、先生とのエスキスである。

ある日、住宅特集にてある建築家の構法を参照しエスキスに臨んだのだが、

「それは、○○さんのだから真似してはダメだ。」と言われ

「ああ、なるほどなー」と感じた。

そこでの「なるほど」というのは二つの意味を持っていた、

一つは作家性の尊重のためにであったら承認せざるを得ないということ、

もう一つはそれがもつ裏に建築界の世界の片鱗を見たような気がしてならなかったこと。

勿論、この発言が色々な考慮をされての発言であるに違いない。(青二才の処女作的な位置づけかもしれないので)

(そして断っておくが、以下のことは極めて主観的な見方にすぎないということ。)

 

ただ、おそらく建築界にはそのような作家性を重視するが故に建築家同士のプラグマティックなアーカイブのためのネットワークを遮断する代わりに、「他人の庭を荒らさない」という暗黙の了解があるのだと思う。

もちろんなことに建築家個人がいけないということではない。建築行為の現行の方法、制度的な問題、歴史的にみた職能の体質など大きな視点での構造的な欠陥があるのだとおもう。

 

ただ僕の心には都市に対して本来有効であるべき手法がそのような障壁のせいをして行われなくなってしまうのは、その手法つまりはデザインの更新がなされないことを露呈しはじめること、更には商業的な結果を求めるが故にいかに建築家自身が特異な方向に行かざるを得ない力学が働いているということ。このことがずっと残っていた。

 

僕は生意気なので、ハッキリ言ってこんな狭い世界には興味がない。かっこいいとかきれいとかは大事だけど本質じゃない。

あくまでも目線は都市の方に向いている。人がもっと"能動的"になれるような都市を目指す目標は変わっていない。

もちろんそのための戦略はある。

 

そのためにまずは「つくること」をしなくてはならないと思っている。

つくらなければ、はじまらない、そのことを強く感じた一年であった。

『思想と実体のズレ』、『実際の現場』、『現場の問題点』、『つくる時にかかる制度的力学』、『つくることのハードワークさ』とあげたらキリがないくらいに経験的なことを切望している自分がいる。

 

とまぁ将来の夢を語るのは良いけれどこの一年自分自身の枠を広げられたらなぁと考えていた一年であったかなとみてる。

 

まず自分の課題としては「柔軟性」の無さだと思っている。

僕の生き方は今まで「目標」を決めてそれにがむしゃらむかうという結果、中々の頑固者が出来上がったと思っている。

もちろんなことある程度自信の裏返しという部分もあるのだろうけれど、自分の経験的な物差しで人は物事を判断するしか無いが故に僕は未知なものに対して結論を出すことが多いと思っているのでより多くの経験をしとくべきだと感じた。

多角的な視点を経験的にインプットしなければならないなと、

そう言う意味で今年WILDFRÄULEINのデザイナーの志村君との出会いは本当に衝撃的な

出会いだった。彼の服に対しての知見と経験そして世界観がに圧倒された。

年齢を聞いた時は更に驚いた。僕よりも二つ年下ということで

先日彼の展示会に足を運んだのだが彼と数時間も話して彼の経験値が誰もが経験したことが無いようなことからきているのだと、いくつものターニングポイント経て彼は自らの世界観を構築していったのだと、彼はアウトプットを繰り返すたびにフィードバックが得られるその環境を楽しんでいたし、僕は建築という時間を要するアウトプットで現時点で議論ができないことが大変悔しかった。(くどいけどつくるしかない)

 

その悔しさがまた原動力となっていると思う。

また創作には『目的(目標)』つまり『狙い』がなくてはならないと彼の作品を通し僕は再認識した。もともとデザインは問題解決のための手法であるので自己の表現だけでなく、いかに狙いを持てるかそれが大事であると。

 

2015年は「生き方」を考えさせられた。一度枠の外にでてもやっぱり根っこには自分がいるとか言語化の限界だとか未知への挑戦に対しての恐怖だとか、

 

来年(2016)はより「具体的に」「飛躍」した年になるように頑張りたい。

2015年に感じた課題と可能性を確かめられる来年は楽しみでしょうがない。

ただ2015年はとにかく自分のことしか考えてなかったので、もう少し周りを見ることを意識的にしないとなと思う。意識的に、意識的に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

振り返りそしてまた前進。

プロジェクトもいよいよ本格的になり僕の二十代もいよいよ建築の思い出がたくさんになってきた。

 

プロジェクトの方は施主との対話で与件を引き出し、生活動線を解いて行くとプロジェクトメンバーの書いた図面も大分収束してくるという面白さも感じた。

f:id:curryman55:20151101073832j:plain

情報が多くてよくわからなっかた(言語化が難しい)けれど振り返ってみるとなんとなく話が見えてきたかもしれない。

■敷地に関して

・塀によって所有区分が明確化されている。

・緑が多くそれらはその境界を越境するかのように生育している。

・基礎が通常より肥大化し、生活空間がGLよりも高い。

 

箇条書きにしてみたところ、「人間」が「モノ」により人為的に境界をつくりだし、「植物」や「その他の生物」がそれをやすやすと越境するという。言ってしまえば当たり前だが、そのこと自体が中々言語化が難しく捉え難い世界を作り出しているのかなと。

そしてこの特徴は窪地という地形が大いに関係していると、おそらく街としての排水システムの最終地点がこの場所になり、おおくの生態系が生育しているのなかの一つの主体としての人間なのだ。

 

f:id:curryman55:20151101075742j:plain

■与件に関して

・緑が見える仕事部屋。

・南面に多くの緑を。

・洗濯物が良く干せる。

・本15000冊を収蔵したい。

 

こちらはなるべく外部環境を内側に取り込みたいと言う要望と、またあらたな主体としての「本」を許容する空間をという話。

 

登場主体を整理すると

「人間」「本」「緑」というような主体がでてきた。おそらく「モノ」はそれらをつなぐあるいは、はなす主体となる。

 

 

ここまでなんとなく整理できた。

というと今まではとにかく人間のための空間をせっせと図面化していたといえるのだが、(つまり合理的な生活動線)

 

先日先生とのエスキスで「本棚」の扱いについて議論になった。

論点をまとめるとこんな感じ

門「本棚構造はなんのため?」

立「壁と本棚が一体的になることで囲まれた空間が比較的自由に使える。」

門「人間のための空間の論理に本の論理がレイヤードされるのは少し違和感がある。」

 

なるほどと思った。というのもプランを描いていると本棚が強過ぎて空間の許容としての冗長性がむしろなくなっていくような感覚があったからだ、なんでだろうと疑問に思いながらも、ただそのこと自体は確かな感覚で

「なぜ物理的な広さが担保されているのに生活のリアリティがいまいちない」という点を今までずっと考えていたからだ。

なんでだろうと思いつづけた僕に、先生は続けて長坂常について話してくれた。

 

先生曰く長坂常は「空間のバランスをとる」のが大変うまいのである。

[sayama flat]においては強いものと強いものを並列的に並べることなど複数主体を登場させ、戦わせることで結果的にニュートラリティを獲得するという。

 

一見すると恣意的な絵画的作業であるが確かにそう言う視点で見てみると彼の絵画的作業は平面計画いやむしろ生きられたときの情景としてのフラットな感覚を得るための作業と見れるかもしれない。

 

ただやはり、そのバランス感覚はやはりモノとして立ち上がったときの実体とあたまで考えるときの思想との距離をうめなければ話にならないと

 

またまた設計が楽しくなってきた。

f:id:curryman55:20151101082158j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はデザイナーになりたい

久しぶりの更新になってしまった。前回めちゃくちゃ気合いが入って書いたのに消えてしまい少しブログきらいになったけど再開しよう。

 

研究室でWSC_2015、mcd_2015というインスタレーションのプロジェクトが終了した。

WSC_2015に関して簡単に説明するとオフィスのフロアを使って様々な子供向けの体験型ワークショップの一つのコンテンツとして子供達が遊べてかつ、リラックスできるような公園をつくってほしいという枠組みのもとスタートしたプロジェクトで8月29,30日に無事完成し僕自身もとても楽しんだしとても良かった

f:id:curryman55:20151022235835j:plain

 

そしてmcd_2015に関しては門脇研で例年行っているプロジェクトでこれも、子供向けの体験プログラムの中でのインスタレーションで、とても綺麗だったが少し気になるところもあったので研究室内で共有することにした。そこで議論した内容は本当に大事なことだったし僕も言葉足らずでうまくいえなかったが、ちゃんと伝わったみたいだ。

f:id:curryman55:20151023000512j:plain

 

僕はインスタレーションを半ばアートの領域のみで語るのが好きではない、もちろん美術館の一室の中「非日常的」な空間を如何に実現するかという問に対しては真摯に答えるべきだと思う。インスタレーションだからといって特別なことは無い。それも一つの「デザイン」だからだ、

 

そもそも「デザイン」とは"ある問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現することと解される。"(wikipediaより引用)

とされる、つまりはデザイナーはある与件に対して問題を組み立てなんらかの手法でそれらを解かなければならない。

 

WSCでいえば「公園」という与件つまりあらかじめ行為が想定されていないような環境をユニバーサルスペースに創るということ。

ともすれば恣意性が介在し、デザインが人の行為を限定的にしてしまうのだが、WSCでは以下の三点がデザインを成立させた要因として大きかったのではないかと思う。

 

1、木はなるべく散在させる

WSCでは実際の木をフロアに搬入し設置したのだが、木の領域保持の理論をそのまま援用し、ニュートラルな平面をつくった。

 

2、木の間隔に疎と密というムラをつくった。

→実際シングルグリッドの交点に置かれれば、その形式性の強さよりそれは丸柱と同様の意味が発せられるきらいもある。つまりは体験としての公園を微細な位置調整を伴い実現したと言って良い。

 

3、ディテール←実はここが一番重要であった??

 

→今回のプロジェクトでは木を設置するとき、そのモノが「対象」として空間に現れないことが重要であったとおもう。つまり対象は実体として認識してしまうが故に空間の知覚を助けそれが結果的には行為の多様化を妨げかねない。

よってそのモノ自体は環境でありつづけるのが最も自然な公園と言える、とすれば「木」の先端はできるだけ天井の「面」と合わせるのが合理的であるし、そのための構法としてL字アングルは最もミニマルな金物として機能するという面で素晴らしいなと思った。

 

そして今回のmcdは「デザイン」という点で、あくまで僕個人の意見としてうまくいってない点があったとおもう。

 

それは「表現が目的化」されてしまったこと、その一点である。

僕は最初にmcdを見たとき、メンバーの狙いがどこにあるのか少し把握できなかった。いやむしろ把握はできたのだが、それがデザインという方法論として評価することができなかった。

 

ざっくりだが説明すると既存の天井のパネルの割り付け、そして空間の奥行きのある性格を活かしながらレイヤー状に布を配置し、中央は家型にくりぬき必要な箇所は布に最低限の開口をあけるという方法で、おそらく動きによる布の揺れや、既存の天井についた光が透過性のある布を通過したときに現れる着色された光を体現し中央の象徴的なパースをいかにみせるか、そして結果的にそのパースは人々を奥へと誘い込むシーンとして象徴的に現れる。といったところだとおもう。

 

僕はその「見え」に関しては成功していると思ったが、「与件」に関してはあまりうまく対応できていないと感じた。

当日そのパースを写真でおさめている人がたくさんいたが、特徴として全ての人がその空間を定点でおさめていたというところだろう、つまり空間が従来の人のアクティビティを包括しきれず、それ自体が自律してしまったところがあるのではないかと感じた。

まさに僕が気になったのはその点でキッズワークショップというプログラムの中奥行きのある空間に子供たちのワークショップを配列しなければいけないときには僕は個人的には方向性が強い空間よりもむしろ自由な方向に発散し、いたるところにアクティビティがうまれてくる方が好ましいのでは?「対象」というより「環境」になるべきなのでは?と感じたのです。。。。

 

とメンバーの実践的な姿勢に刺激を受けつつ僕はシコシコと設計をします。

 

 

 

 

住宅地の向き(またメモみたいですが)

大学院1年の前期が終わった。前期は設計を始めたこともあり、設計を介してインプットすることが多いように思えた。やはり具体のものを扱うために、その速度は読書よりも幾分劣るが、具体そのものの設計から得られる感覚はやはり設計しないと得られない。と改めて思う前期であった。

 

その中で「住宅地の向き」について考えさせられた。

住宅のスパンは大体30年とされ、その周期は1950年の宅地造成から数え今現在は4周期目つまりもし設計したものが今後数年内に竣工すればそれは第4世代の住宅と言える。

この60年で住宅の大きさが変わってきた。世代を経るごとにその住宅が建つ敷地は相続やミニ開発により細分化された。その一方で住宅の構えは以前として武家屋敷をある種のモデルとして塀+住宅というタイプが依然として多く存在している。必然的に住宅は内向きになるし、小さい分、様々なコンテクストから生じる問題系が顕在化されるようになった。その中のおおきな一つとして「向きの固定化」という問題があると思う。

概ね住宅は北面に水回りを置き、南面に庭を配するために必然的に住宅の向きは南面指向になり、それは平安時代の書院造(もしくはそれ以前?)から連綿と続くのであるが果たしてその建ち方は現代に至りついに形骸化をおこすようになる。というのも、住宅の平面計画に冗長性がなくなりある画一的なプランニングを強いられるようになっているのだ。それはつまり生活様式の固定化をも意味し、さらにはコンテクストとの齟齬も多く引き起こすようになる。例えば今現在設計している敷地では南面は駐車場と北面は通りという北と南の二極に対しプライバシーの問題が生じている場所であるのに対し、既存の家の平面計画はうまく言っているとは言い難くその計画により家の方向性が強く規定されるが故に、大変に一義的な生活を強いられてしまうのである。

 

この背景の中、「リノベーション」と「新築」相互的に検討しているのであるが、

「リノベーション」の場合、軸組構法という性格を読み、そこに少々のレタッチを加えるだけで、状況は少しずつ変わる。例えば研究室のプロジェクト「HKR」で川又さんは二階の床を抜くことで、二階居室の開口を一階のハイサイドライトのように扱ったことにより一階の南面を塞ぐことを可能とした。それは住宅地の向きを少しずつ編集する際に既存の構造を把握し、利用してしまおうという極めてポジティブな方法をとった。

 

このようにリノベーションはある既存のコンテクストに対し、段階的に操作を加えることにより、住宅地固有の問題に接続できる可能性があるとみている。

 

「新築」は、今現在プランを解き、模型に落とし込むというようなトレーニングになっている中、やはり建ち方によって様々な向きが生じてしまうと言う実感をより具体のレベル(言葉レベルよりもという意味)で感じてきた。

また敷地周辺は大きくそのレベルが周囲と比べ下がっており、街としての排水システムが住宅の基礎部分の肥大化と伴い特異なものとしてあり、の肥大化自体は住宅の1Fのレベルを体感的にあげるもので、結果的にプライバシーの問題を解決することにつながるかもしれない。

ときりがないのでこのへんで、

 

 

7月は更新が滞ったので反省。そして夏休みはインプットをとにかく増やそうと思う。

また設計もたくさんしなくては。

 

 

忘れないうちに。

昨日のゼミで、先生と「hk3」(経堂の住宅プロジェクト)について議論した。

 

「hk3」は角地に建つ住宅なのであるが通りに対する二面だけでなく、裏側の二面、総じて住宅に隣接する四つの面に対し、いわば分裂症のように異なる構えを都市に向けている住宅で個々のファサードの振る舞いの決定に関しての具体的な議論に余地があると感じていた。

まずその手法として、近隣住宅の表層部分を切り取り変形し、通りに面するファサードを構成するのであるが、(一面は看板建築のエレメントを踏襲し、もう一面は家型のエレメントを踏襲している。)さらに裏側は、日射によって面的なエレメントを配列する変数を得ていることにより、裏側にも関わらずかなり、オープンな面を構成を可能にしている。

 

ここで疑念に残るのはデザインソースが建築のある部分において「街の表層部分」にあるということである。

特に「看板建築」のエレメントは既存の意味が解体されており、そこにあるのは看板と言う極めて抽象的な面的エレメントのみに限定されるからである。

 

僕はこのことが青井哲人先生がおっしゃっていた「小さなピクチャレスク」にほかならないんじゃないかと思っていた。

小さなピクチャレスクは日本の小住宅においてのコンテクストの読み方によっては、都市動態の趨勢に、ある規定度を与えることについての言及である。例えば、隣のファサードを踏襲することや、塀を連続させたりなどは新たなデザインボキャブラリーとしても見て取れるが、反対に都市の既存の構造を強化する問題も十分に孕んでいるということだ。

つまり言いたいことは、住宅の寿命など限定的であるのにも関わらず、その表層自体がデザインボキャブラリーの対象になりうるのかということだ。極端な例を出せば隣の建物が壊された瞬間にその記号性は意味も無く浮遊することになる。さらに説明を加えると、小さなとは物理的な実体としての小ささというわけではなく住宅単体がこの場合もつ批評性の射程の小ささに関しての形容とも捉えることが出来る。

僕はこのことをどう考えるかを先生に投げかけた。

 

先生の答えとしてまず出たのが

「hk3 」の狙いとしては先生は「近代への批判」にあるとした。ということだ。

おそらく近代という言葉を用いたのは、一つの強い原理を強要する姿勢の問題性を解いたものだと僕は理解している。

もう少し、詳しく言えば「敷地」という一つの強い枠組みの中での住宅がもつような批評性を「敷地」を超えメタ的に展開が可能ではという仮説による試みであるということである。

先生はそのことを【住宅の複数の「近傍性」の切断による独立的維持】によって可能であると説いた。

多くの説明が必要なので、一つずつ説明すると、近傍性はコンテクストという言葉で置き換えることが可能であろう。

例えば「時間的近傍性」、「生産的近傍性」、「物理的近傍性」とうような様々なクラスに分類される中で一つ例をとると時間的近傍性は都市の中での時間的な連続性を「看板建築」という系譜を敷地に召還させること(これは選択する形式が都市構造にクリティカルであるかというような点でまた議論が必要)により、成し遂げるのであるが、ここで注意したいのは、先生はある独立した近傍性の中で様々なエレメントに分解している点である。そのことはある独立した近傍性が様々な問題系と接続可能ということと同義である。つまり「部材単位」(例えば軸組構法やアルミサッシなど)に分解することで「経済」、「構法による制約条件」、「生産」などの既存のコンテクストに接続し、そこに自らの修正を加えることが出来るということである。(簡単に言えば選択の流動性を高める。)さらにはそこに批評性が加わることは一つの物理的な敷地と言う枠組みを超えた中でのメタ概念としての批評となりうる。

先生はこれらの近傍性が関係を取り繕うことはなく、いずれもバラバラのまま切断可能であるとした。つまり様々な変数が相互的関係を結ぶこと無く共存可能な状態を構築したということだ。

 

しかし僕は未だに疑問なのはそれらの近傍性は本当に関係を結ばないのかという点つまり「家型」という近傍性は「文化的」ないし「物理的」近傍性で定義されうるのではないかお互いの変数は密に関係しうるのではないかという点。

さらには僕は具体のメタ概念が把握しない限りは敷地と言う物理的制約の中に留まらざるを得ない近代的ジレンマとの格闘と見なさざるを得ないというような疑問が残ってしまった。

いずれにせよ、この議論はメンバー全員が刺激されたであろうし、

僕自身決して批判的態度ではなく極めて希望的な態度でこの問題をみているのは確かだ。

 

 

その後青井先生と飲んだのだが、二つのことを教えてもらった。

一つは「フレーム問題」、二つ目は「コンテクスチャリズムのふたつの側面」

 

フレーム問題は簡単に言えば、設計の際に射程となりうるフレームの設定である。

青木淳の「大宮前」を引き合いに出し説明すると、あれは住宅地であるが公共施設で様々な他者がくる可能性を様々なレベルで引き受けるためにプログラムを色や素材のレベルまでに解体し解くことであらゆるものを生け捕りにすることを狙ったものであると

さらにそのフレームは大まかに言えば「ピクチャレスク」か「古典主義」のいずれかの二つの性格を帯びるものであるとしたうえで、そのこと自体は決して問題ではなく、やはりフレームの設定自体が都市に向けられるものであるかの問題が最もクリティカルな点だと言うことだと思う。

 

80年代に席巻したコンテクスチャリズムにおいては「物理的コンテクスチャリズム」か「文化的コンテクスチャリズム」の二つの性格があるとし、

ヨーロッパにおいては隣の建物と同一のタイプの建物が自動生成されるものつまり、「軒の高さ」や「壁面のライン」という物理的なコンテクストに応じた形態をとっていくと必然的に建物が同一になるという規定度がある。

反対にアメリカのハイウェイなどは空地などの条件により、記号的(家型等のテキストが生成されるもの)を引用するのみになる。

東京では建物が近接しているのでやはりこの二つのケースが手法として存在するが、いずれにせよ建物の新陳代謝の際には、いずれにせよ巧妙に操作した建物でさえ空虚な記号や空虚な形態に成ってしまう危険性があるのである。

 

うーん、勉強不足である。

 

 

また考えることが増えてきた。

分かりにくさはどこまでも分かりにくい。

 

新建築 2015年 06 月号 [雑誌]

新建築 2015年 06 月号 [雑誌]

 

 6月初めての更新。(なるべく一週間に一回はしないと・・。)

今月の新建築の月評にて、403architecture[dajiba]の辻氏が青木淳の建築は「分かりにくい」というような表現を用いていたが、全くの同意である。

 

誤解を恐れずに言えば、設計者は空間を体験する際、(ここで重要なのは設計者として)ある秩序を発見することで「解法としての建築」を共有することを望む場合が多い。例えばこの壁はどうしてこの色なんだというような質問をするのは、建築がほとんど設計者の決定に委ねられる部分に依存するために、その思想がいかに民主主義的倫理から外れていないかを確認する行為と同義的な意味を持つ。(つまり設計者の独善的な形になっていないか)つまり「解法としての建築」というのは設計者の意図の射程からみた建築といえる。

そしてその解法が有効だとすれば、それらは共有資源になりうるし空間の秩序を把握するための鍵となるために「思想」が「モノ」へと昇華するプロセスに介入が可能になるわけである。

 

青木淳の最近の建築はしかしながら、ある原理的な秩序を持たない「ボトムアップ的」建築を趣向していると思う。つまりはある一つの絶対的な秩序(それは時に図式や強い字構成とよばれるような)に様々な設計要素が回収されない方向を目指して、特に大宮前体育館は「バラバラ」なものを「バラバラ」なまま共存させる事を意図するとなると、ある一つの強い原理というものは解体され様々な要素を並列的に扱う事により複数の論理が輻輳し合う結果の建築をめざしたものである。

 

よって個々の解法つまり大宮前でいえば例えば「壁の湾曲」の意図を聞いたところで、大宮前の空間の秩序など把握できないのである。

 

それもそのはずで、青木淳は意味的な発散的状況を生み出すことで、ある一つの強いイメージ形成を阻止していることを明言している。

それはR・ベンチューリがいう「多義的」な空間とは、また異なり、空間にある全ての要素から意味を拾っても一つの意味に収束せず、疑問符が付きまとうような状態を目指すものであると僕は思っている。

 

イメージ形成は青木淳がいうような「遊園地」に回収されてしまう。

空間の秩序が完全に把握される事はある一つのイメージが共有され、その場の質も固定化されてしまうからであろう。

よって分かりにくさというのはどこまでも分かりにくいのであり、青木淳であって分かってもらおうともしてないのは確かなことであろう。

 

このことを踏まえ坂本一成の設計論を読み解くと同様な内容があるのに気づく。

たとえば坂本はコンクリートに白ペンキを塗った事で概念的な意味は消されども、その表面のテクスチャーから様々な意味が発生してしまう事実を目前にし、物質の意味の消失の不可能性に気づくのである。

そして彼は部材レベルでのコノテーションを消失した後に構築された空間を「環境」というレベルで実現する事を目論む。

コノテーションはモノを対象として観察した時に生じる、より高次の暗示的意味であり、六本木ヒルズを見た時、人は「建物」だという印象の他、「金持ちが住んでいそう」などのメタな意味を帯びる。

(メトミニーなんてレトリックなどはコノテーションの効果そのものであろう。)

脱線しそうなので話を元に戻します。

 

坂本の場合は柱に付随する象徴的な意味=例えば大黒柱などのような意味を消す事を目指したのである。

そのような部材の配列、構成によりニュートラルな空間の質=つまり環境(そこには象徴性が帯びない)ものを目指したというのは(構成、部材のはなしは青木淳はしない)青木淳の方向性と結構似ているところがある。

 

ここからは僕の個人的な仮説なのであるが、「両者ともにTillmans(http://tachi-archi.hateblo.jp/entry/2015/05/22/235832)的な質」を目指しているのではないかと僕は最近すごく思う。

 

個々の写真のように部材レベルでいけばあるテキストが発生されうる(コノテーションは無くして)、しかしそれらが関係性を結ぶ時、対象がもはや個々の写真に依拠するというより、むしろ関係性が対象自体になるということが大変に面白い。つまりある建築に付随する断片的な記号が意味するものは対象としてみるのであればあまり意味が無く、それらが関係性の中に位置していればそれらの記号性ははじめて環境化されうるのではないかと。

 

 

しかし関係性は決して「分かりやすい」カタチででるわけもなし、個々の記号は一旦取り出せばコノテーションを消し去る際の恣意性(おそらく大宮前の湾曲した壁もそのような意図があったのでは)で厚塗りされ、それ自体のみが議論の中に取り込まれてしまうというようなことがおこりうる。のかなぁと

 

・・・・ここまで言っても釈然としないままだけどね。関係性ってなんだ?って感じで。