2015年を振り返って(独り言)
あまり振り返ることは好きではないけれど、色々反省もあるとおもうので来年度の抱負も含め、色々しるしたい。
一年を振り返って卒業設計の後書いた論文書いたのを思い出す。
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ここでいうアポリアとは
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とうことであるが、デザイン自体が持つ命題–人に制約を与えざるをえないということ–を超えるかということだ。ざっくりいってしまえば「デザインの更新」である。
その端緒として考えられるのは、先生とのエスキスである。
ある日、住宅特集にてある建築家の構法を参照しエスキスに臨んだのだが、
「それは、○○さんのだから真似してはダメだ。」と言われ
「ああ、なるほどなー」と感じた。
そこでの「なるほど」というのは二つの意味を持っていた、
一つは作家性の尊重のためにであったら承認せざるを得ないということ、
もう一つはそれがもつ裏に建築界の世界の片鱗を見たような気がしてならなかったこと。
勿論、この発言が色々な考慮をされての発言であるに違いない。(青二才の処女作的な位置づけかもしれないので)
(そして断っておくが、以下のことは極めて主観的な見方にすぎないということ。)
ただ、おそらく建築界にはそのような作家性を重視するが故に建築家同士のプラグマティックなアーカイブのためのネットワークを遮断する代わりに、「他人の庭を荒らさない」という暗黙の了解があるのだと思う。
もちろんなことに建築家個人がいけないということではない。建築行為の現行の方法、制度的な問題、歴史的にみた職能の体質など大きな視点での構造的な欠陥があるのだとおもう。
ただ僕の心には都市に対して本来有効であるべき手法がそのような障壁のせいをして行われなくなってしまうのは、その手法つまりはデザインの更新がなされないことを露呈しはじめること、更には商業的な結果を求めるが故にいかに建築家自身が特異な方向に行かざるを得ない力学が働いているということ。このことがずっと残っていた。
僕は生意気なので、ハッキリ言ってこんな狭い世界には興味がない。かっこいいとかきれいとかは大事だけど本質じゃない。
あくまでも目線は都市の方に向いている。人がもっと"能動的"になれるような都市を目指す目標は変わっていない。
もちろんそのための戦略はある。
そのためにまずは「つくること」をしなくてはならないと思っている。
つくらなければ、はじまらない、そのことを強く感じた一年であった。
『思想と実体のズレ』、『実際の現場』、『現場の問題点』、『つくる時にかかる制度的力学』、『つくることのハードワークさ』とあげたらキリがないくらいに経験的なことを切望している自分がいる。
とまぁ将来の夢を語るのは良いけれどこの一年自分自身の枠を広げられたらなぁと考えていた一年であったかなとみてる。
まず自分の課題としては「柔軟性」の無さだと思っている。
僕の生き方は今まで「目標」を決めてそれにがむしゃらむかうという結果、中々の頑固者が出来上がったと思っている。
もちろんなことある程度自信の裏返しという部分もあるのだろうけれど、自分の経験的な物差しで人は物事を判断するしか無いが故に僕は未知なものに対して結論を出すことが多いと思っているのでより多くの経験をしとくべきだと感じた。
多角的な視点を経験的にインプットしなければならないなと、
そう言う意味で今年WILDFRÄULEINのデザイナーの志村君との出会いは本当に衝撃的な
出会いだった。彼の服に対しての知見と経験そして世界観がに圧倒された。
年齢を聞いた時は更に驚いた。僕よりも二つ年下ということで
先日彼の展示会に足を運んだのだが彼と数時間も話して彼の経験値が誰もが経験したことが無いようなことからきているのだと、いくつものターニングポイント経て彼は自らの世界観を構築していったのだと、彼はアウトプットを繰り返すたびにフィードバックが得られるその環境を楽しんでいたし、僕は建築という時間を要するアウトプットで現時点で議論ができないことが大変悔しかった。(くどいけどつくるしかない)
その悔しさがまた原動力となっていると思う。
また創作には『目的(目標)』つまり『狙い』がなくてはならないと彼の作品を通し僕は再認識した。もともとデザインは問題解決のための手法であるので自己の表現だけでなく、いかに狙いを持てるかそれが大事であると。
2015年は「生き方」を考えさせられた。一度枠の外にでてもやっぱり根っこには自分がいるとか言語化の限界だとか未知への挑戦に対しての恐怖だとか、
来年(2016)はより「具体的に」「飛躍」した年になるように頑張りたい。
2015年に感じた課題と可能性を確かめられる来年は楽しみでしょうがない。
ただ2015年はとにかく自分のことしか考えてなかったので、もう少し周りを見ることを意識的にしないとなと思う。意識的に、意識的に