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建築中心

観光者として

先日、GDZといういわゆる合同ゼミ合宿に二度目の参加をしてきた。

そこでは建築のみならず人文系・ファッション系など大学でいえば、東京大学、慶応SFC、日大、東洋大、明大などの学生が一同に集い、あるテーマにそってワークショップをするのだが、毎年本当に刺激を受け今年もとても濃密な二日間を楽しんだ。

 

さて今年のテーマは藤村研が主催でもあって「大宮の観光について」であった。

僕自身、大宮には一度も降りたことが無く、大宮=アルディージャくらいの印象でしかなかったのだが、降り立ってみると氷川神社鉄道博物館などのコンテンツが街にちらほらと点在することが分かった。

だけど、それを軸に話を進めるのには少し、しんどい気がした。つまりは大宮は浦和と川越という間に位置する大宮にとっては都市間競争のコンテクストにおいて、むやみやたらにコンテンツを充足するという観光戦略では資本的な問題系が目前にでてきてしまうので避けたかったしコンテンツ配置型の都市開発は一種のクリシェになっており、議論も伸び白が無いなとも感じた。

そこで僕たちはともに一観光者としての体験をフィードバックし共有することにより、都市の体験を体系的に論じることを目指した。つまりそれは、大宮の現在、つまり時間でいうと点的な大宮のみぞ知る僕たちなりのフラットな視点により、大宮を観察し大宮の構造を把握する態度としての現れでもあった。

 

そこで僕たちは都市を体験する際の「リズム」に注目をした。

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散歩した氷川神社までの体験を叙事的にフィードバックしようともできないのは、ある用途地域による線引き、ならびに各地区を分断する幹線道路による参道までの歩行行為の不連続性に起因していた。僕たちはその不連続性を許容するか否かによって、大きく方向性を規定することは分かっていただけに、決定は慎重にならざるを得なかった。

 

当初僕は、氷川神社の参道の住居形式に注目した。それは参道に面した住宅の裏が店舗に変容することにより、おそらく水回りの位置もそれに従い移動し新しい住居形式になっていることの一例のような(つまりそれは住宅地の中に経済性が入り込むことを意味する)ゾーニングを融解するような動態を他の地域でも発見し顕在化させることにより、あるグラデーデーショナルな都市体験を可能にさせようとすることを提案したのだが、

南後ゼミ(人文系)の女の子が「いやむしろその行為の断絶はドラマ性を生む」と言ったことで、僕の中でなるほど面白いなと視点が相対化された。

というのも、おそらくリズムはいわゆる線的な時間だけでなく、もっと引いた目で見れば昼の時間での都市機能と夜の時間での都市機能が大宮の場合にとても差があるということである。おそらく昼は参道中心に街としての重心が位置するのであるが、夜になるとそれが駅前の猥雑なビル群へと移動する。つまりそれは「よるのまち大宮」と「ひるのまち大宮」の性格の違いが一つの都市の中で共存しているということを意味するのである。

よってぼくらはむしろその不連続さを許容し、むしろその不連続な断絶を浮上させることにより、性格のコントラストを高めることにした。

 

つまりは「よるのまち」では氷川神社がパワースポットやのんべい通りと読み替えられることで、いわば飲みの街として成立する反面、「ひるのまち」ではその健康的代償を補うべくスポーツの街として、スポーツの記号性を既存の街のストックにちりばめることにした。例えば既存のビルの外壁にボルダリングが打たれたり、街路にはホームベースのペイントなど、表層的なサインを鏤めることによりイメージの断片が集合するに従いスポーツの街大宮というキャラクターを形成することをねらった。

その記号性のコノテーションにより人々は断片的ながらもある一つの性格を獲得していくことになる。その記号はなにも、いわゆるサインのみならずそこでふるまう人間そのものもデザインするという極めて戦略的な方向になった。

 

こうして振り返ると、本当にデザインって色々な視点や方法があるなぁとおもいいわゆる表層的なものを扱うことを嫌ってしまう僕にとってはあたまを柔らかくする良い機会だった。

 

 

刹那さのさきに

 

 

東京の体験は表層的な断片の不連続さを彷徨う中での自己により生み出された虚像の集積としての体験に他ならないと伊東豊雄は言っていたが、こればかりは概ね同意をせざるをえない。

 

それはまたはWolfgang Tillmansが描くような世界そのもののようにも思える。彼は一つのテーマに沿って写真を撮るのではなく、ボーダレスな世界をその写真(一見して何の関連性も無いものの集合)のバラバラな配列に投影させる。つまり都市が生み出す無数の断片化されたテキストを我々は無意識的に受容し、それらを可能な限りつなぎ合わせる事である実像(虚像なのだけれども)を希求するのであるが、それはあくまで刻一刻と生み出される無限のテキストを前には意味が無効化されてしまう。

 

無限と生み出されるゴミ山の中(有用なのかも無用なのかも分からない)から一つの鍵を手に入れたとして、それが何の鍵であるのか、それともそれ自体鍵であるのか、という確信を得られないままに私たちはゴミ山を漁るしかないのである。

それも極めて刹那的時間の中で、それらは行われる。立ち止まっていてもテキストのログは更新され続ける・・・・

 

銭湯に行った帰りである。そんな事を考えながら地元のスナックのある通りを自転車で抜けようとしたとき、昼間では閑散(シャッター街)とする場所とは思えないくらい濃密な時間が流れていた。そこでは店のカラオケが通りにまで聞こえてくるし、客が店から出てくる途端、倒れてしまうほどに、深く飲んでいたり。。。

 

普段だったら無視しているはずだが、近すぎて鬱陶しいくらいの濃密な人間関係の前になぜか羨望せずにはいられなった。時間にしてみれば一瞬でもである。

誤解を避けると、ノスタルジーと現実を重ね合わせたわけではない、

 

ただ、ますます刹那的な人間関係を強いられる中に私たちはなにをみるのか。刹那のさきには果たして何があると言えようか・・・

 

湯冷めしたので寝ます。

 

 

 

 

 

 

 

雨読のついでに

元々観察が好きな僕は人の一挙一動を見て、その人が何考えているのか、どういう性格の人かを考えるのに頭を働かせてしまうのだけど、その時にまるで皆の中に無意識だった言葉を浮上させながらその人を形容すると意外にも笑いになる時がある。そういう言葉の魅力を感じながら、建築を勉強し始め、一見しただけで無視されてしまうある種ダサいものに愛着が湧いたりする事がある。・・・最近では残念な事に言語処理能力が著しく低下しているのだけど(OSとしての脳味噌が今から黎明期に入ろうとしているのを信じている。)

 

 

そして不思議なもので言葉というのは時に陶酔を超える快楽を生み出すときがある。その端緒として思い浮かぶのは大学時代に読んだアトリエ・ワンの住宅作品にまつわる文章である。

 

 

アトリエ・ワンの住宅に初めて触れた時に「アニ・ハウス」や意外にも「モカ・ハウス」が好きで、、、

とはいうのも住宅地に必然として現れる「隙間」への再解釈が見事で、一見し無意味でいらないものとされるものに乱暴な断定をせず、一歩引いた目線で意味を付与する語彙を与える事ができる健全さに驚いたし、羨望したものだった。

 

戸建住宅同士の斥力で生まれる空間に一度でも身を投じれば分かるだろうが、仲の良い友人の喧嘩の取持ちのような板挟みの感覚と似ている、どこか窮屈で自己の不在から来る苛立たしさみたいなものを感じると思う。

そのネガティブイメージとしての「隙間」に外部階段を巻き付けただけで、身体が隙間に移された時、外部階段にまたがる双方の壁は身体を取り巻く環境として位置づけられ、同時に精神は解放される。そこには仮想的な内部空間(実際は外部なのだけど)が出現して、はじめて隙間の位置づけは隣家とそっぽを向き合う関係性ではなく、ある環境を形成する要素としての関係性へと置き換わる。

これを可能にするのは慣習的な建ち方の解体による、平面の階層構造の不在とある有機的なまとまり(他律的でもあるし自律的でもある部材同士または周辺環境との折り合い)を形成しうる言語体系そのものである。

 

と再び、今住宅の設計をやるなかぼんやりと思い出すのである。

「建ち方」それは都市に対する態度であると同時に自己を解放するための定位方法と思いまたまたいっぱい勉強しなくては・・・と雨音がする中ブログを書きながら思う笑

 

 

空間言語

 

ゴールデンウィークに代々木公園に足を運んだのだが、そこでの体験が面白かった。

ランニングをしている人たち、打楽器を叩く人たち、バドミントンをしている人たち、また傍らには読書をしている人など、原宿も近くにあるせいか様々な背景(人種、文化、思想等)を持った人がその空間を共有している事に驚いた。と書くと大げさなのだけど、僕自身も他の人たちの行為はそれこそ見ていて爽快で、異なる行為であるけれどちっとも煩いなという気持ちにはならなかった。

 

そこには共通の言語が存在しないにも関わらず、ある空間の秩序(人為的ではないけれど)みたいなものを「無意識」に共有していたと思う。

 

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観察してみると、生態系としての樹木はある程度の間隔(採光、通風のため)を必要とするために、ある同程度の広がりを持つ領域が作られ・・・(上図参考)

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その環境(あくまで人為的なのだが)を読み取り、人々はまたそれぞれの領域を干渉する事なしに共存していてるんじゃないかと。

あくまでも個人見解なのだが、対象として浮かび上がる(あくまで対象ね)これら二つの主体(人、樹木)の間には階層的な関係が存在と言う視座では見当たらない。

さらには主体の内的関係同士[(人)、(樹木)]でさえ見あたらない。つまり全てが精神的に並列的であるといえる存在とまで言えてしまうような感動があった、

あえて例えるならば、インターネットゲームの仮想空間上のプレイヤー同士の関係性みたいな感じ、、(やったことないけど笑

 

じゃあ何で共通言語もなしにそんな状態が作れたかと言うと、もうこればかりは分からないけれど実体を伴わない「空間言語」みたいなものがあるんじゃないかと、、

それは「空気を読む」みたいな意識的なものとは似ているけど少し違い、もっと無意識的なものでその空間特有のルール(制度的な意味には収斂してほしくないけど)があるんじゃないかと、そしてそれらは代々木公園のある断片的空間の「空間言語」が【α】だとすれば、はたまたハモニカ横丁の接近隣接されたオープンな居酒屋の手前の路地では【β】となり、そこにはまたべつの空間言語が存在するために振る舞い方も無意識のうちに異なってくると思う。

「空間言語」はじゃあメタフィジカルに存在するのかと言えば、そうとは限らないんじゃないかと(都市空間でも非常に少数だとおもう)、そして「空間言語」を建築に内在させるにはどうすればいいんだろうか。。。

 

 

 

停車駅としての出会い

出会いというのは正に偶然性の賜物であり自己を相対化する劇薬だなと最近とても感じる。最近ますます他人と会話する事が無くなった僕だか、つい最近久しぶりに友人と朝まで飲み明かす事になり、ますます改めて友人達の人間性に尊敬したものだった。そんな時風俗発言でおなじみ?の西村さんの小説・『苦役列車』をみて、西村さんと正反対ともいえる生き方をしてきただろう東さんの著書との類似性に気づかされたのであった。(だから人間はすごい)

感想を読書メーターから引用すると

‘‘諦観と達観をもち自己を記述していく過程の中に、全ての人が持ち合わせている性質(怠惰や嫉妬など)を浮かび上がらせながらも、その性質の不可変性を強く感じた作品。つまり苦役列車というのは常に自己を枠付けるものとし、内部からではその存在自体も見えない、またその列車を相対化する機会である停車は不可逆的であるし、予測不可能な千載一遇(出会い)に投機せざるをえない。苦役列車は個人の一断片を捉えながらも、人間固有の共通の悩みをも捉えている。’’

つまりは東さんの弱いつながり=偶然的な出会いというのに投機せよというような示唆と僕は苦役列車を重ね合わせた。短い文章だったけれども人間がもつ固有のジレンマみたいなものをいかに対峙することが未来に対しての道を作るのだと思う。

 

四月は何故か分からないけれど毎年感傷的なってしまうので誕生日月を前に過去を振り返ってみた。

苦役列車 (新潮文庫)

苦役列車 (新潮文庫)

 

 

 

弱いつながり 検索ワードを探す旅

弱いつながり 検索ワードを探す旅

 

僕は友人にもよく言うのだが大学に入ってはじめて人間関係において悩んだ。

高校生の時は「大学受験」や「部活動」というような他人と共有できる目標が あったために、お互いの言語も似たり寄ったりで共同体の中で摩擦のない関係を築けたのかなと。もちろん、そのときも他人との間に齟齬が生じることは会ったのだが、少なからず大学で顕在化するまでは自己内省などすることなしに生きてきたのかと思う。

さらには僕はまぁ要領が悪く、浪人という道を半ば運命的に進むのだが、そのとき予備校にも行かず、自らの能動性のみで受験勉強と言うひたすら受動的な態度にならざるを得ない中、他人とほとんど関わりを持つ事なく自らの能力とはじめてと言っていいほど対面した。その結果大学入学時には見事なまでの負のオーラを纏い自己否定を繰り返すような人間に育ってしまったいたのだ。

そんな時建築に出会い、少しずつ夢中になっていくのだが、、建築は社会的な実体そのものなので、自己の社会に対しての態度を少なからず反映させる媒体にもなってしまうので

嫌でも僕は自分の経験や思想だったりに対して再び対峙する事になってしまい、しまいには自らの考えが正当であるとした態度で人の事を見てしまったり、自己保身のための自己欺瞞をしたりをした。

おそらく多分友人からは考え過ぎだとか言われるかもしれないが、少なからず自己否定を繰り返しながらそれを糧に自らを奮起させていた事に慣れすぎて知らない間に自らを『苦役列車』のような枠組みに捉えられたのかもしれない。(分かりにくいけれど、感覚的に・・・・)当然のことながら友人と意見が合わない事が多いにあった。そんな時ものすごいフラットな視点で友人を見ると僕には到底出来ないことを色々している事に気づかされる。そんな時僕は今までの自分のパラダイムがとってもちっぽけなものに感じ、自己を内省しはじめる。今までにない価値観が自分の中に生まれ始めるのだ。

この時大事だと思ったのは、自己否定はしないという事。自己否定は同時に相対的な価値観を見せてくれた他人の否定でもあるからだ。来月で二四になるが、また新しい出会いを求めに自分から行こうと思う。

これはかなりつまらないブログになってしまったが、こんな事を気づかせてくれた関わってくれた全ての友人に感謝したいと思う。

 

『建築に内在する言葉』坂本一成 読書感想文その2

「建築は環境である。」という類いの言葉を用い坂本は建築はそれ自身対象物ではない状態を獲得したとき初めてある固定化された概念の枠組みから外れると説明している。(と思う。)

 

環境とはいわゆる工学的な環境と言う狭義の意味ではなく、自分が今いる様々な事物の関係性の上に成り立つ世界そのものであるが、我々はその世界の全体性を知覚する事はほとんどなく、ほとんど無意識的にそれらと同居している。それら事物の構造が顕在化する時というのは我々が、それ自身を『対象』として扱ったときである。対象物とは不思議なもので、なんらかの意味が必ず後から付着してくる。

 

坂本が家の素材にたいして同一の着彩を行うという事は、ある種、素材という対象物に対し捨象を行うと言う行為であるが、坂本自身その行為自身がまた新たな意味を付随させる行為他ならないというアポリアを抱えてしまうのである。

 

意味の零度の不可能性を自覚したまま、彼は事物が持つ『図像性』 に着目する。

図像性とはゲシュタルト心理学から生まれるイメージのようなものである。例えば我々はある「対象」が住宅だと知覚するのは、「家型の覆い」や「ベランダ」などの二次元的な物理的な情報とそれが持つ文脈上でのコモンセンスとして意味を汲み取るからである。

建築のシンボルとはまさしくこの象徴的な効果を利用していることが言えると思う。

例えば、人々は六本木ヒルズを見たときその二次元的な情報と共にに「金持ちの場所」というようなコノテーションを得る。

 

「対象」というのはこのようにある固定化されたイメージを付与してくれる、故に人はそれに対峙した時、その意味作用から解き放たれる事が無く、それがもつイメージを抱え込みながらの思考をせざるを得ないのである。

それを坂本自身は商品住宅が持つ「近代家族」というイメージ自身を消費者はのぞんでいるという背景を例に説明していた。そのとき坂本は家をつくるとイメージそのものを抱えながら設計してしまうので、それらを抱え込まずにある物理的なエレメントの「関係性」のみの構築に従事し「環境そのもの」を形成したのちに事後的にそれらが住まいとしての場として成立すればよいという考えなのだろう。

 

いずれにせよ、物理的なエレメントの「関係性」それ自身も人為的なもの他ならないのであり、それらの論理をどう形成するのかとても気になるところである。

 

あー坂本さんの住宅に行ってみたいなぁ・・・・。

 

『建築に内在する言葉』坂本一成 読書感想文その1

大学の4年にもなると、少しばかりか自身の空間の趣味が分かるような気がしてきた。(後述するが決して肯定している訳ではない。)

単に「お洒落で」というようなイメージで入学した建築学科であったが、泥臭くストイック極まりないその特有のパラダイムの中で揉まれるだけでなく、入学以前の様々な経験的な体験(空間だけでなく思想的な)も輻輳し、ある曖昧模糊な自身のイデオロギーの萌芽みたいなものが生まれ、それが自身の趣味的なものと関係しているかもしれない。

 

言いたい事は設計行為つまりはデザインは、天から突然降りてくる訳でもなく、または他人を模倣できるわけでもなく、自身の経験的蓄積の中から対象に投影するほかない。という事だ。

 

卒業設計終了後、一年間オーバーヒートし続けた僕は少しばかりか疲弊し、建築に対しものすごい気怠くなったが、ある種自己欺瞞的にまた頭を向けた。その中で読み始めたのが坂本一成の本である。

 

建築に内在する言葉

建築に内在する言葉

 

 

 帯に書いてある事を簡単に抜粋すると、

『空間は身体だけでなく精神をも沿わせるものであるので、なるべく押し付けがましくなくより柔らかく自由を感じさせる空間にならないだろうかと考えてきた。』という事だ。

 

 

この本の構成は二部構成になっており、

第一部には 「建築の修辞」

第二部には 「建築意匠の論理」

が書かれている。ハッキリ言って全て気が抜けないような内容であった。特に第二部は圧巻で、建築の部位やそれらが関係して構築される意味作用など、建築でのある象徴作用としての機能にスポットをあて明晰な分析を行っている箇所は何度も精読したい箇所である。

 

第一部の「建築の修辞」というタイトルから発せられる通り言語のように様々な意味を伴う対象の関係性ないし、そこから想像される比喩的な効果を建築における構成の中に見いだすという内容で、これだけ書いても何言ってるんだという感じは否めないが、実作を例に分かりやすい流れがあった。

坂本は70年代に住宅の設計を開始したが、70年代はいわゆる「閉じた時代」といわれ、公害問題をはじめとする環境問題を背景に建築家が都市から撤退し始めた年代で、同時期に伊東豊雄の「中野本町の家」(1976)や安藤忠雄の「住吉の長屋」(1976)といったような都市とは切り離されるような住宅が相続き発表された。

また坂本自身も初期の三部作「散田の家」、「水無瀬の町家」、「雲野流山の家」においては「閉じた箱」という入れ子構造つまり外殻と内殻を持つような構成であった。

無論そのような構成は空間の階層関係を作り出す故に、必然的に二つの空間の関係は上位と下位に分離され、使われ方も限定的になってしまう。そこで坂本はそれらの幾何学的構成を弱めるため、素材の意味を抽象化(同一の色ペンキで塗る等)する操作を施す。

また概念的には閉じた箱とは言えど、その開口部はそれぞれ非常に大きく、概念と現実の緊張関係が見受けられる。

 

つまり、外的なコンテクストに要請され、必然的に決定される形式に坂本自身の身体性や思考そのものが衝突し緊張を引き起こす事により、その形式自体が歪められるのではないか。

 

坂本の言説として諦観しながらも空間の意味の零度への標榜目指し、その中でも「固有性(制度や形式)に対する違反」や「象徴作用の喚起(一義的でない)」が主軸になっている。

 

最初に書いたように、趣味的空間とは原因論の帰結の現れである、つまりは自己認識する際に不可視のフレーム(思考ないし思想またはそれに付随する行為)が自分自身を規定してしまう。そのフレームは原因論を追求すればするほど漸次的に強固なものにならざるを得ないであろう。

しかし坂本はそのフレーム自体を相対化しようとしている。坂本の空間の決定ルールにおいては具体(ヒトや機能)が捨象され、それらの並び替えやズレなどで事後的に抽象度の高い意味が生成される。その生成の飛距離こそがフレームの相対化につながる部分という事だ。

 

長くなりそうなのでこれにて「その1」とする事にする。