「都市を能動的にする」
システムが瓦解した時に耐えられる自己を生み出すという質を実現したい。
そのために必要なのが「都市を能動的」にすることだ。
システムとは一概にこれとは言えないが、貨幣システムを例にとると了解しやすいと思う。
貨幣を媒介に身体の外部を拡張でき常に複数のオプションを選択できることが近代以降のある一つのメルクマールとなっていたと思われる。
例えば伊東豊雄の「東京遊牧少女の包」は軽やかな衣服に包まれた少女たちが都市の中でファーストフード店をリビングに位置付けジムなどをバスルームと、生活の機能をその従来の家に求めるのではなく「貨幣」を代替に「空間」をそして「時間」を消費することに対し建築的なラッピングを施したプロジェクトで有名でこのことはまさに先の指標の一つの到達点を達成したといえる。
伊東の「消費の海を浸らずして新しい建築はない」(1989)もこのような状況を前提にしながら建築の新しい形式を模索していかなければならないという啓発的論文であった。
もちろん僕自身もこの状況に対しドラスティックな構造変化のパースペクティブの提出は不可能であると思うし、この状況下で建築を模索していくほかないと思っている。
しかしながらシステム(何らかの供給システムと考えれば判りやすい。階層関係の世界)が瓦解した時、僕らは無防備な身体を暴露させられる。僕たちは近代において「消費する術」を獲得した代替に身体に本来備わっているスキルは外部(システム)に依存することで軽やかな身体を獲得した。
僕個人が卒業設計で訴えていたのは常にその状況に対して自覚的にそして都市を読み替える術を持つスキルの必要性で消費一義的な空間が多く自己生成する時、「隙間」のようなニュートラル(何にも属さない)空間を見出せるかへの問いでもあり、即ち能動的な都市の実現へのマニフェストでもあった。
能動的な都市とはまとめると他人の生を生きることなしに能動的に都市の中で自分を表現出来る都市であると僕自身は思っている。
そしてそのために必要なことして、今現在以下のことが大切であると思う。
・「都市への参加の機会を増やす」
これは「自己再組織化」を分かりやすくネットワークするということかなと思っている。
以下はその事例である。
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●「CET」(以下、リンク)
都心回帰の動態の分かりやすい例である。
●「仙川」
余剰となった床で多くの商店が営まれている。
●「HAGISO」
エリア全体を設計するという点では新しい計画の形かもしれない。
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これらの現状に対してはやはり個別的な事例による制度設計が必要だろう。
(また書きます)