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touch

建築中心

雨読のついでに

元々観察が好きな僕は人の一挙一動を見て、その人が何考えているのか、どういう性格の人かを考えるのに頭を働かせてしまうのだけど、その時にまるで皆の中に無意識だった言葉を浮上させながらその人を形容すると意外にも笑いになる時がある。そういう言葉の魅力を感じながら、建築を勉強し始め、一見しただけで無視されてしまうある種ダサいものに愛着が湧いたりする事がある。・・・最近では残念な事に言語処理能力が著しく低下しているのだけど(OSとしての脳味噌が今から黎明期に入ろうとしているのを信じている。)

 

 

そして不思議なもので言葉というのは時に陶酔を超える快楽を生み出すときがある。その端緒として思い浮かぶのは大学時代に読んだアトリエ・ワンの住宅作品にまつわる文章である。

 

 

アトリエ・ワンの住宅に初めて触れた時に「アニ・ハウス」や意外にも「モカ・ハウス」が好きで、、、

とはいうのも住宅地に必然として現れる「隙間」への再解釈が見事で、一見し無意味でいらないものとされるものに乱暴な断定をせず、一歩引いた目線で意味を付与する語彙を与える事ができる健全さに驚いたし、羨望したものだった。

 

戸建住宅同士の斥力で生まれる空間に一度でも身を投じれば分かるだろうが、仲の良い友人の喧嘩の取持ちのような板挟みの感覚と似ている、どこか窮屈で自己の不在から来る苛立たしさみたいなものを感じると思う。

そのネガティブイメージとしての「隙間」に外部階段を巻き付けただけで、身体が隙間に移された時、外部階段にまたがる双方の壁は身体を取り巻く環境として位置づけられ、同時に精神は解放される。そこには仮想的な内部空間(実際は外部なのだけど)が出現して、はじめて隙間の位置づけは隣家とそっぽを向き合う関係性ではなく、ある環境を形成する要素としての関係性へと置き換わる。

これを可能にするのは慣習的な建ち方の解体による、平面の階層構造の不在とある有機的なまとまり(他律的でもあるし自律的でもある部材同士または周辺環境との折り合い)を形成しうる言語体系そのものである。

 

と再び、今住宅の設計をやるなかぼんやりと思い出すのである。

「建ち方」それは都市に対する態度であると同時に自己を解放するための定位方法と思いまたまたいっぱい勉強しなくては・・・と雨音がする中ブログを書きながら思う笑